
The Collection
つうⅠ
浦田 愛子
つうⅡ
浦田 愛子
つうⅢ
浦田 愛子
山岳風景
クラウス・シュパニ
Victory
梅宮 俊明
リロエ谷
コディ・トレジエラ
待つ
田中 潤也
働く男
井上 忠
荷物を背負って
井上 忠
三番叟
大石 順教
風景
マリオ・バーブジャニ
ウィーンの街並み
古小路 浩典
少年と子犬
古小路 浩典
湖
サンティナ・ポルテリ
アルプス春陽
南 栄一
夕日と少年
南 栄一
春
ウォルフガング・フルビカ
ふくろう
マルリーズ・トバエ
橋
マルリーズ・トバエ
ハイビスカス
木村 浩子
沿岸風景
ウィリアム・ウォリス・ムーニー
自画像
佐藤 拓也
花
築地 美恵子
海岸の古木
ジー・ヤン
星をつかむ少女
ハイデ・コシンスキー
夜景
安達 巌
廃船2
細貝 信和
少女とひまわり
クリストバル・モレノトレド
春聲
牧野 文幸
静物
ジャン・ヨン・ファン
バラ
山口 かほる
海を眺めて
ナタリナ・マルカントーニ
東京駅
飯原 孝
BMX
石橋 亨弘
果物のある静物
シルヴォ・メーレ
希望
石原 生美夫
白バラ
大井手 麻紀
やさしい夜に
黒木 洋高
花瓶のユリ
トリアンタフィロス・イリアディス
クリスマスイヴ
西岡 良介
雪の中の小屋
スネ・ハリー・フィック
バラとかすみ草
茅野 清子
Landscape
菅野 圭子
花瓶の花束
ベンジャミン・ズニダルシッチ
郊外の工場
水村 喜一郎
寒牡丹
南 正文
雪に覆われた松
ミ・スーン・ハン
キノコの家
六鹿 香
山村の秋
森田 真千子
北の海で
森田 真千子
The Collection

浦田 愛子(うらた あいこ)
()/ 足で描く
1945年~2024年(神奈川県)
1945年12月生まれ。生後1年で先天性脳性小児マヒと診断され、両腕や体幹機能がマヒしていた。6歳の頃から両親の教えで足で文字や絵を書き始める。幼い時から絵は好きだったが、18歳頃から通信教育や個人レッスンでイラスト、レタリング、水彩、俳画を勉強した。29歳から西洋画の研究所に通って油彩を学んだ。30歳で公募展に初入選。個展も多く開いていた。神奈川二科展で特別賞を受けた民話「夕鶴」の世界を描いた三部作は、透明感の高い表現力と構成についての評価が高い。2024年没。
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クラウス・シュパニ
()/ 口で描く
1940年~2014年(スイス)
1940年6月生まれ。9歳の時にポリオに罹り両腕両足が完全にマヒした。すぐに口に鉛筆や絵筆をくわえることを覚えた。サンクトガレン市で美術工芸学校の一般コースに学び、主にグラフィックアートで才能を磨いた。作品の現代的解釈が認められ、国内3ヵ所での卒業展覧会に出品した。地元の市立美術館、チューリッヒ、ジュネーブなどを始め多くの都市で展覧会を行った。絵画研究の一環としてパリ、ローマ、スペインに留学した。既婚。スイス美術、彫刻、建築、ビジュアルアートの芸術家教会会員。2014年没。
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梅宮 俊明(うめみや としあき)
()/ 口で描く
1966年生れ(埼玉県)
1966年8月生まれ。19歳の時の自動車事故で脊椎を損傷し、以来、車いす生活で、肩から下の感覚がない。父の死後、自立への道を模索し、油絵の先生や一緒に描く仲間たちとの出会いを経て、口での描画を始めた。社会福祉協議会でのレッスンを経て、現在は、独自で描いている。2006年に初めて障がい画家の作品展に出展し、「全国肢体不自由児者父母の会連合賞」を受賞。続く年には優秀賞を受けた。2011年3月、夢であった個展をさいたま市にて開催し成功させた。障がいを持っている仲間達に、夢を少しでも与えられる絵を描きたいと奮闘中。
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コディ・トレジエラ
()/ 口で描く
1960年~2022年(カナダ)
1960年9月生まれ。19歳の時に自動車事故により首から下がマヒし、人工呼吸器に頼った生活となる。治療の一環として口で絵を描き始め、描画が治療だけではなく、個人的な達成感をもたらすものであることに気づいた。生きがいとなった描画の中でも特に油彩とスケッチを好んだ。カナダの出版社とともにブリティッシュコロンビア州での巡回展を数多く開催した。趣味は音楽や映画をはじめとする芸術鑑賞とスポーツ観戦。2022年7月没。
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田中 潤也(たなか じゅんや)
()/ 口で描く
1999年生れ(愛媛県)
1999年1月生まれ。7歳の時、交通事故で頚髄を損傷し完全四肢マヒとなる。小学校に復学した折、先生に書道を口で書くよう勧められ、筆で書く楽しさに気づいた。小学5年生の時、自宅近くで行われた口と足で描く芸術家協会による絵画展での実演を見て、本気で絵を描くことを志す。特別支援学校高等部を卒業する際に将来のことを考え、同協会への参加を決めた。人との出会いを大切にして絵を描き、自身の絵でいろいろな人にメッセージを届けたいと願っている。
The Collection

井上 忠(いのうえ ただし)
()/ 口で描く
1944年~2005年(岡山県)
1944年6月生まれ。高校2年生の運動会で、騎馬戦競技中に首の骨を折り、首から下の神経がマヒし、四肢マヒ、体幹機能全廃となる。受傷2年後に口で絵を描き始め、看護士さんや友人たちに励まされ、独学で技術を磨き続けた。入退院を繰り返し12年間家で過ごしたが、父母の高齢化にともない、重度障がい者施設に入寮。絵の具を出したり、筆を洗ったりすることは、寮内の車椅子の友人に手伝ってもらい、二人三脚で作品を制作していた。1998年、油絵「働く家族」が、岡山市の中央保健所ロビーに、陶板レリーフとして飾られた。2005年6月没。
The Collection

大石 順教(おおいし じゅんきょう)
()/ 口で描く
1888年~1968年(京都府)
1888年大阪府生まれ。10歳で京舞の名取りとなる。17歳で養父に両腕を切り落とされ、19歳から旅回りの一座に入った。カナリアがくちばしで雛を育てる姿に教えられ口筆を覚えた。無学無教養を恥じて独学で字と絵を習得。40歳の時初めて個展を開き、43歳で障がい子女の教育養護を志す。京都山科に障がい者福祉相談所を設けて障がい子女と共に生活を始めた。68歳で口筆写経が日展に入選。74歳の時に障がい者いこいの家を建立。自ら両手が無い身でありながら、障がい者の社会復帰に半生を捧げた。1968年没。
The Collection

マリオ・バーブジャニ
()/ 口で描く
1956年生れ(イタリア)
1956年5月、両腕マヒ、両足変形で生まれた。口での描画を独学で始め、強固な意志と情熱で歩み続けてきた。人生における困難や悲しみ、そして喜びが、彼の非常に個性的な表現方法の構築につながった。作品は色と光を使い、平和や内面の喜びを伝えている。また、イタリアの伝統的芸術、装飾的で美しい絵画の作風を自身のものとしている。好むテーマは人形と風景、花。
The Collection

古小路 浩典(こしょうじ ひろのり)
()/ 口で描く
1963年生れ(東京都)
1963年5月生まれ。中学3年生の時に器械体操のクラブ活動中に頭から落下し頚椎を損傷、全身マヒとなる。リハビリと療養を続けたが、肩から下はマヒしたままで手足の機能は回復しなかった。入院中に医師から口と足で描く画家たちのことを聞かされ、励まされて自身で口に絵筆をとる。退院後は職業画家について指導を受け、本格的な活動を始めた。生活が目的のあるものに変化し短期間に急速な向上を遂げた。29歳の時に初めての個展を開催。現在は勇気ある一人暮しを続けている。
The Collection

サンティナ・ポルテリ
()/ 口で描く
1948年~2022年(イタリア)
1948年6月生まれ。生まれつき手足にマヒがある。幼少期より色を塗って遊ぶことが好きだった。油彩画の技術を学んだ後は様々なレパートリーに挑戦し、陶芸家としても活躍した。プロの芸術家のもとで学び、テクニックと豊かな表現力を向上させ、2000年に口と足で描く芸術家協会の正会員となった。作品は、目に見える単なる線と色の連なりではなく、人間の精神を表現している。イタリアやその他の国で、多数の個展やグループ展に参加し、多くの賞賛を受けた。1975年に、障がいのある生活についての心理学的論文をまとめ、大学で博士号を取得。2022年没。
The Collection

南 栄一(みなみ えいいち)
()/ 口で描く
1955年~2023年(長野県)
1955年8月生まれ。高校3年生の時に柔道の試合で頚椎を損傷し四肢マヒとなる。3年間の入院生活後自宅に帰り、ベッドと車椅子生活を始めた。絵は入院中にリハビリで描き始めたが、そこから新しい世界、新しい友人の輪が開け、毎日の生活が目的と楽しみのあるものになった。水彩画から始め次第に油彩で風景や静物を描くようになる。祖母、父母の逝去にともない独立し、良きヘルパーを得て重度障がい者ながら一人暮らしをしていた。作品「希望の虹」がリヒテンシュタイン公国の切手に採用された。2023年11月没。
The Collection

ウォルフガング・フルビカ
()/ 口で描く
1951年生れ(アルゼンチン)
1951年5月生まれ。南ドイツで生まれ、1歳で家族とアルゼンチンに移住した。15歳で繊維会社の経理部で研修生として仕事を始め、18歳で管理職となる。しかしその年に、水泳中の事故で全身マヒとなり、以来、車椅子とベッドで生活している。事故から3年後に初めて口に筆をとった。油彩、テンペラ、水彩による素朴な画を好んで描く。
The Collection

マルリーズ・トバエ
()/ 足で描く
1933年~2001年(スイス)
1933年生まれ。生まれつき両腕がない。幼い頃より、足を使って日常生活を行い、右足での描画に打ち込んだ。義務教育の後、フランスのストラスブールでよく知られた画家のもとで学び、さらに応用芸術大学在籍中に賞を獲得。モチーフは静物画・風景画から動物画へ、そして時が経つにつれ抽象画へと移っていった。陶器・金属工芸、大型モザイクなどの創作にも意欲的であった。口と足で描く芸術家協会創設メンバーの一人で、二代目会長としても活動。様々な都市で作品を発表し、多くの賞と称賛を受けた。2001年没。
The Collection

木村 浩子(きむら ひろこ)
()/ 足で描く
1937年生れ(沖縄県)
1937年10月生まれ。1歳になった直後の高熱により脳性小児マヒとなり、言語障がい、両手右足硬直がある。施設での生活を経て自立を目指し、18年間使わなかった足を訓練した。僅かに動く左足で文字を独学し、習得。可能性を求めて足での短歌、編み物、水彩画など次々と挑戦し、絵画に生きる道を見出した。生きている限り、自己表現の可能性である絵筆を捨てることはない。土に一番近い野の草花や人の優しさを感じさせる童画、俳画を得意とする。沖縄で障がい者と健常者の交流の場、「土の宿」を主宰している。
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ウィリアム・ウォリス・ムーニー
()/ 口で描く
1942年~2016年(オーストラリア)
1942年生まれ。若いアスリートとして将来を嘱望されていたが、16歳の時に飛込での事故のため肩から下がマヒとなる。18歳の時に描き始め、19歳からは美術教師のもとで習作と美術教養の習得に努めた。油彩と水彩で母国オーストラリアの風景と海景を好んで描いた。2016年没。
The Collection

佐藤 拓也(さとう たくや)
()/ 口で描く
1964年生れ(福岡県)
1964年10月生まれ。未熟児として生まれたため、その後の発育に問題があり、生後11ヶ月で脳性マヒと診断された。知能、言語に問題はないが、上下肢ともに重度の障がいがあり、両腕での日常生活がほとんど不可能で、歩くこともできない。養護学校卒業後は、重度障がい者療養施設に入所。介護されるだけ、生かされるだけの人生から脱却したいと、幼少時より好きだった絵画を通信教育で学び始めた。すぐには上達しなかったが、1985年、障がい画家の絵画教室に参加し、生き甲斐を求め、積極的に取り組み才能を開花させた。色彩感覚に優れた、個性的な作品を描く。
The Collection

築地 美恵子(つきじ みえこ)
()/ 口で描く
1964年生れ(東京都)
1964年8月生まれ。幼い頃から絵画に興味を持ち、6歳から18歳まで絵画教室に通っていた。24歳の時に、登山中の転落事故で受傷し、両手両足マヒとなる。入院、手術を受け、事故から2年後にリハビリの一環として口にサインペンを取り、絵を描き始める。後に水彩画も始め、以前通っていた絵画教室の先生に再び師事し、才能を伸ばしている。好きなモチーフは水彩で描く優しいタッチの花々。個展やグループ展の参加など積極的に活動している。
The Collection

ジー・ヤン
()/ 口で描く
1971年~2019年(中国)
1971年6月生まれ。1977年に高電圧事故に遭い、右腕を肩まで、左腕を肘まで失う。1980年、口で絵を描き始め、その1年後、作品「Great Rooster」が日本で開催された絵画展で銀賞を受賞。1986年に中学校を卒業し、スケッチの仕方を学んだ。1992年から口と足で描く芸術家協会の奨学給費生となり、2011年から準会員となる。水彩画を描き、好きなテーマは動物と花。数多くの展覧会に参加し、世界中で受賞した。2019年没。
The Collection

ハイデ・コシンスキー
()/ 口で描く
1943年~1992年(ドイツ)
1943年生まれ。商業学校卒業後、17歳の時にポリオに罹患し両手がマヒ状態となる。24歳から3年間職業訓練校でグラフィックアートの訓練を受け、口での描画技術を磨いた。1992年没。
The Collection

安達 巌(あだち いわお)
()/ 口で描く
1939年~2006年(大阪府)
1939年10月生まれ。10歳の春、雀の子を捕るために鉄塔に登って感電し、両腕を失った。 12歳の時に初めて口に筆をとり、絵を描き始める。一生続けられる仕事に就きたいという思いから、本格的に絵画に取り組み、デッサンを始め、日本画・水彩・油絵と様々なジャンルの絵画を独学、創作した。多くの展覧会に出品し、これが口と足で描く芸術家協会の目に留まり、画家への道が開かれた。国内外の公募展に多数入選、受賞。25歳の時、東京オリンピック第2部パラリンピックにおいて、水泳で金、100m競争・立ち幅跳びで銅メダルを獲得。 2006年9月没。
The Collection

細貝 信和(ほそがい のぶかず)
()/ 足で描く
1961年~2004年(広島県)
1961年6月生まれ。仮死状態で生まれ、脳性小児マヒと診断される。両腕は全く使えず、歩くことはできないが、両足を動かすことはできた。3歳頃から自然に足で全てのことを行うようになった。養護学校高等部在学中に美術クラブに入り、油絵とデッサンの基礎を学ぶ。卒業後、本格的に著名な画家より個人レッスンを受け、基礎訓練を経て才能を伸ばした。絵を描くことは、自分という人間がこの世に存在した足跡を残すことであり、社会と関わることだった。2004年没。
The Collection

クリストバル・モレノトレド
()/ 口で描く
1941年~2015年(スペイン)
1941年6月生まれ。生まれつきの筋萎縮症で、両手両足がマヒしている。小学校時代に口で描き始め、独学で技術を習得した。後にバルセロナの研究所の通信教育を履修し、優れた画家に成長した。作品は力強い表現主義的手法で描かれ、厚盛りの絵の具、温かい色の広がり、寛大さを示す幅広い筆のストロークが特徴的。1992年、ローマ法王に謁見した際に法王に肖像画を贈った。その創作活動は金属の塑像・陶芸・氷の彫刻などにも及んだ。また、作家であり、詩人であり、劇作家でもあった。2015年8月没。
The Collection

牧野 文幸(まきの ふみゆき)
()/ 口で描く
1966年~2017年(岡山県)
1966年1月生まれ。高校2年生の夏に水泳の練習に失敗して頭を強打、頚椎を脱臼して四肢マヒとなった。15ヵ月間の病院でのリハビリを経て車椅子で高校に復学し、級友の助けを得て無事卒業した。絵は卒業後リハビリ療法士に勧められ口で始めた。職業画家に師事し、毎日長時間の修練を続け、4ヵ月で技術を身につけた。個展の開催やグループ展への参加など活動は積極的。絵画制作の傍ら、小中学校に招かれて講演や実演などの活動も行っていた。絵は、唯一自分が輝ける場所だと言う。書にも情熱を傾け、教授免許(五段)を取得。2017年6月没。
The Collection

ジャン・ヨン・ファン
()/ 口で描く
1965年生れ(韓国)
1965年5月生まれ。機械技師の訓練をしていた1993年、交通事故により四肢マヒとなる。失意の日々を送ったが、1995年4月、口での描画を知り、挑戦することを決意。その後すぐに絵を描くことが大きな歓びとなり、著名な画家のレッスンを受けた。風景や花のモチーフが大好きで、油彩や水彩で描く。数多くのグループ展や個展にも参加している。
The Collection

山口 かほる(やまぐち かほる)
()/ 足で描く
1950年生れ(東京都)
1950年5月生まれ。生後3か月で脳性マヒと診断される。10歳の時に画家一家の兄嫁から絵を習い、口で描き始めた。14歳で入所した施設では朝4時に起き、時間をかけて朝食を自分で食べ、通学した。やがて宗教に出会い、心の救いと友人を得て、忍耐を学んだ。16年間研究所に通い絵画を学んだ。初めは口で描いていたが、長年酷使した体のことを考え、現在は足で描く。ヘルパーやボランティア、多くの人に支えられながらひとり暮らしをし、数多くの個展を開催している。
The Collection

ナタリナ・マルカントーニ
()/ 口で描く
1961年生れ(イタリア)
1961年12月生まれ。生後11か月でポリオにかかり車椅子生活となる。義務教育終了後、陶器の絵付けコースを3年間受講し、その後、陶器の絵付けに情熱を傾け様々な展示会で作品を発表した。1989年に口と足で描く芸術家協会の奨学金給付生となり、1993年には準会員、その後わずか3年で会員となった。様々な展覧会で作品を発表し、1996年にイタリアのヴェローナで開いた個展では大成功を収めた。作品は人々の魂の深い部分に触れ、描かれる花や風景の色は、見る者すべてを癒す。
The Collection

飯原 孝(いいはら たかし)
()/ 口で描く
1970年生れ(新潟県)
1970年1月生まれ。16歳のときに交通事故で首の骨を折って神経を損傷し、手足がまったく動かない。1年半の入院後、療養所に転院。隣接の養護学校高等部を卒業し、現在は母親と2人暮らしをしている。あごで操作する電動車椅子に乗って生活している。描画は、子どもの頃に地元新潟市(元白根市)で毎年行われている白根大凧合戦が好きで、凧に描かれている絵を描けるようになりたいと、療養所で始めた。描画に対し熱心に取り組み、確実な進歩を遂げている。
The Collection

石橋 亨弘(いしばし としひろ)
()/ 口で描く
1959年生れ(大阪府)
1959年5月生まれ。生後3ヶ月の時に、高熱により脳性小児マヒとなり、体幹四肢障がいがある。3歳から中学校卒業まで障がい児施設で暮らし、そこで厳しい訓練を受け、口で何でもすることを覚え、描画の楽しさも知った。18歳のときから障がい者施設に入り、通信教育でイラスト・パソコン・油絵などを勉強した。その後は独学。デイ・サービス施設で本格的に油絵を描きだした。現在は、電動車イスで小中学校へ講演に出かけたり、公民館などで絵の実演をしたりしている。身近な素材を元に自分なりのイメージを膨らませて描き、はっきりとした色使いが特徴。
The Collection

シルヴォ・メーレ
()/ 口で描く
1971年~2017年(スロベニア)
1971年5月生まれ。21歳の時、交通事故で第3・第4頸椎を骨折・脱臼し、手足マヒとなる。絶望の毎日だったが、口と足で描く芸術家協会に所属するスロベニアの画家ヴォイコ・ガスペルートに指導され、30歳から口で絵を描き始めた。その後すぐに描画の楽しさにのめり込み、技術を上達させたいと努力を重ねた。2017年5月没。
The Collection

石原 生美夫(いしはら きみお)
()/ 口で描く
1952年生れ(神奈川県)
1952年12月生まれ。高校卒業後、交通事故で頚椎圧迫骨折を負い、四肢マヒとなる。6年余の闘病生活の後、神奈川リハビリテーションセンターの更生ホームに入所。そこで、口や足で描く画家の存在を知り、どん底の暗中模索の人生に希望を見出した。リハビリを兼ねて描画に励み、日美絵画研究所(通信油絵講座)で、絵画の基礎を習得。作品は豊かな色彩を特徴としている。絵画は、自己の精神闘争でありライフワーク、そして社会へのメッセージでもある。地域の障がい者と毎年開催するグループ展「グループ完『輝く生命の絵画展』」の代表を務めた。
The Collection

大井手 麻紀(おおいで まき)
()/ 口で描く
1969年生れ(東京都)
1969年8月生まれ。脳性小児マヒのため、上下肢マヒ、言語障がいがある。訓練により鉛筆を手で持って書けるようになったが、小学3年生の時から、緊張、不随意運動がひどくなり、口に鉛筆をくわえて字を書くようになった。養護学校卒業後、絵画教室で描画を学び生きがいとなる。口と足で描く芸術家協会への参加で、好きな描画を続けられる環境ができた。障がい者が学校や仕事をはじめ、いろいろなことにチャレンジできる社会になることを願っている。
The Collection

黒木 洋高(くろき ひろたか)
()/ 口で描く
1965年生れ(宮崎県)
1965年7月生まれ。21歳の時に自動車事故で第5、第6頚椎を損傷し全身マヒとなる。日常生活には介護が必要で、少し動く左手で電動車椅子を操作し移動する。25歳の時にリハビリの一環で口に筆をとり絵を描き始めた。独学で水彩の技術を習得し、アクリル画やパソコン画も描く。絵本に挿絵を描いたこともある。「読売身体障害者自立展」に5度出品し、「ありのまま賞」と「読売愛と光の事業団賞」を受賞。1998年には、宮崎県日向市の吉野橋の欄干を飾るレリーフの原画を制作。
The Collection

トリアンタフィロス・イリアディス
()/ 口で描く
1950年生れ(ギリシャ)
1950年9月生まれ。生まれつき四肢に障がいがある。初等学校、中等学校に通っていた時に個人授業で口で描くことを学んだ。20歳の時、口と足で描く芸術家協会の奨学金給付生となり、42歳の時に正会員となる。静物、花、村の景色を好んで描く。アカデミーオブアテネから顕彰を受けた時には、人生を生きるための闘いに対する報酬のように思えた。休暇に出かけることや平和のための活動を積極的に行っており、障がいが活動の邪魔をすることはない。
The Collection

西岡 良介(にしおか りょうすけ)
()/ 口で描く
1954年生れ(広島県)
1954年7月生まれ。高校2年生の夏に器械体操のクラブ活動で床運動の演技に失敗し、首の骨を折り頚椎を損傷した。両足は完全にマヒしており、両手両腕の機能も殆ど失い車椅子生活者となる。2年後に重度障がい者訓練センターに入所。リハビリの過程で口に絵筆をとり、握力ゼロの手で支えて絵を描き始めた。目的意識を持ち粘り強く独学を続け技術の習得に成功し、自立への大きな足がかりを得た。28歳の時に「第11回現代洋画精鋭選抜展」に出展。作品は油彩と人々に愛される色鉛筆画。
The Collection

スネ・ハリー・フィック
()/ 口で描く
1935年~1997年(スウェーデン)
1935年1月生まれ。11歳の時に脳出血により四肢マヒとなる。14歳の時、口に筆をくわえて描き始め、有名なスウェーデンの巨匠に師事した。お気に入りのモチーフは、雪に覆われた人里離れた家々など冬のスウェーデンの風景。鮮やかな色の静物画も好んだ。作品は、カレンダーやカードに使用され、スカンジナビアで大変人気があり、国内外で数多くの展覧会を開催した。口と足で描く芸術家協会の創設メンバーでもあった。1997年没。
The Collection

茅野 清子(ちの せいこ)
()/ 口で描く
1941年~2024年(神奈川県)
1941年9月生まれ。脳性小児マヒのため両手両足マヒとなる。小学校入学と同時に口で文字を書き、絵を描き始めた。41歳から本格的に絵画の勉強を始め、美術教師から基礎を学び、多くの展覧会に参加。作品の特徴は、生命力を感じさせ、躍動する色彩の使い方にあり、非凡な色の配置で作り出される画面の陰影、強弱は極めて新鮮で高く評価されている。学生ボランティアとともに日々切磋琢磨し、人々に喜んでもらえることが次の作品への励みになっていた。2024年没。
The Collection

菅野 圭子(すがの けいこ)
()/ 口で描く
1956年生れ(神奈川県)
1956年9月生まれ。幼少より絵を描くことに安らぎを感じていた。短大商業デザイン科を卒業、仕事はデザイン関係を選び没頭した。41歳で受傷、外傷性頚髄損傷により四肢マヒとなる。すぐ口に筆をとりフェルトペンで描き始めた。口で描く経験も歴史も深くはないが、今は絵が生きる心を支えてくれている。画法と題材に行き詰まったこともあったが、豊かで深みのある表現をと、思い通りに色を混ぜて作れる水彩画に切り替えた。題材も花から風景建物へと変わり、画風も前向きに変化し続けている。
The Collection

ベンジャミン・ズニダルシッチ
()/ 口で描く
1959年生れ(スロベニア)
1959年6月生まれ。電気技師になるための修養中に重大事故に遭う。桜の木から落ち、第5、第6脊椎を脱臼し、四肢マヒとなった。初めは暇をつぶすために詩を書き始め、後には3冊の詩集を発表。「対マヒ患者協会」の文化的指導者として描画コースを組織し、かくして1999年より自身も口での描画に取り組むようになる。スロベニアのいくつかの展示会に貢献している。
The Collection

水村 喜一郎(みずむら きいちろう)
()/ 口で描く
1946年生れ(千葉県)
1946年7月生まれ。9歳の時に高圧線に誤って触れ両腕を肩から失った。以後、手の代わりに口と足を使い全てにわたって何事にも果敢に挑み、自助の精神を貫き通してきた。絵は口に筆をとり14歳から続けている。初めて公募展に入選したのは17歳の時。絵への情熱、勤勉さ、才能と哲学で卓越した職業画家の水準に駆け上がった。マツダ賞をはじめ美術界で重みのある賞の受賞も続け、35歳の時には主体美術協会会員に推挙された。描く詩人と言われ、技術とその絵の持つ力は傑出し、時に巨匠と並び称される。
The Collection

南 正文(みなみ まさのり)
()/ 口で描く
1951年~2012年(大阪府)
1951年9月生まれ。小学校3年生の春休みに父の製材業を手伝い機械に捲き込まれ両腕を失った。2年遅れで養護学校に復学し、口、足、肩を使い勉学と生活訓練に励んだ。14歳の時に無手の画家大石順教尼に師事し、口での描画と生き方の修行を始める。師事後1年で口筆画「武者人形」が堺市展に初入選し、その後も公募展で入選や受賞を繰り返す。絵画の創作、個展を中心とした活動を続けながら、多方面でボランティア活動を実践。見る人の心を打つ美しい日本画を描き続けた。2012年12月没。
The Collection

ミ・スーン・ハン
()/ 口で描く
1955年生れ(韓国)
中等学校卒業後9年間働いた。29歳の時に交通事故に捲き込まれマヒ状態となった。事故後4年間寝たきり生活を過し、現在では頭と首だけを意思どおりに動かすことができる。口を使って日常生活をしようと努め、口での絵画は趣味として始めた。作品は極東の古典を伝統的に、また生き生きと描きだしている。風景画は幻想的で夢に溢れている。花の絵には高い英知の詩、引用句、箴言(しんげん)などが添えられている。口でタイプを打ち音楽鑑賞と詩作が趣味。世界の国々で口と足で描く芸術家協会の絵画展に出品している。
The Collection

六鹿 香(むしか かおり)
()/ 口で描く
1999年生れ(愛知県)
1999年2月生まれ。未熟児として生まれ、生後4か月で先天性多発性関節拘縮症と診断される。保育園のお絵かきの時間に、先生から教えられ口で描き始める。デザインや絵画が幼い頃から好きで、高校時代からはスマートフォンのアプリを用いて描く。2016年に開催された「伊勢志摩サミット」のロゴマークのコンテストで、デザインしたマークが入賞。将来、自立できる希望を持てると思い、口と足で描く芸術家協会に参加。念願のひとり暮らしを始め、創作に集中している。
